今日は2週間に一度のヨガの日でした。
 先々週は「これが最後かもしれない」と思っていましたが、なんとか今日も行けて嬉しい。でも今度こそ今日が最後になるかもしれない。次回は行けるかなあ。どうかなあ。

 年度替わりのせいか、さすがにこれまですいていたこの産院にも新たな妊婦さんがたくさん来ていました。今日はなんとこれまでに私が出席した中で最多の8人もの妊婦さん(+経産婦さんが連れてきたこどもたち)。その中で、一番予定日が間近に迫っているのは私だったのでなんとなく感慨深いものがあります。

 一番予定日が遠い人など、まだお腹すら出っ張ってないなー、と思ってそっと眺めていたところ、彼女からもいろいろ話しかけられたわけですが。

 私の腰痛がひどいことや、逆子が治らないことを気にかけてくれて、やたらと雑誌や書籍で仕入れた情報を教えてくれました。その気持ちは嬉しかったのですが、お嬢ちゃん、そんなことはもう一通り悪あがきしてみたけど、あたいはダメだったのよ…とシニカルな笑みを浮かべるしかありませんでした。
 私も初産だけど彼女も初産、そしてまだまだ週数も浅く、これから待ち受けるあんなことやこんなことは、マニュアル通りには解決できないもんよ…と遠い目になってしまった次第です。

 このときの私は、おそらく、配属になった新入社員が自己紹介に来たときに、そのキラキラした瞳にあてられて「ああ…そう、まあ、これからいろいろ大変だろうけど、体壊さない程度に頑張ってよ、うん」としか答えられない中堅社員みたいな気配が漂っていたことだろうと思われます。

 坐骨神経痛の症状がいよいよひどくなってきました。タテになっても痛いし、ヨコになっても痛い。まして歩いたり座ったりすると、次の動きに移る際に「ピキッ」と激痛が走るので、何をするにも涙目です。

 お正月前後にも、こんな痛みがひどかった時期がありますが、その時にはコタツに正座で入ることを控えて、椅子生活を心がけると改善したのでした。
 でも、もうさすがにそれくらいの対策ではニッチもサッチもいかないのでしょうか。かつてオットが、今より30kgちかく太っていたときに、やたら「腰が痛い!」と訴えていた気持ちがよくよくわかります。そりゃ体が重いし、お腹も出てるんだもん。腰に負担ですってば。

 腰痛には、腹筋を鍛えるべし、とはよく聞くことなので、妊娠前にもっと腹筋を鍛えていたら良かったのかしら?と尋ねてみたこともあるのですが、こればかりは胎児の状態や骨盤の開き方なんかも関わりが出てくるので、ケースバイケースなのだとか。

 せめても(逆子対策もあるので)頻繁に足湯をして、体を温めましょう…。うう。
 しかし、つわりが殆ど無かっただけに、この坐骨の痛みは後々までに思い出に残りそう。

 予定日まであと49日(←あれ?なんか法事みたい汗)。
 産後は産後で大変なことも多いとは聞きますけれど、でもやっぱり、早く今の痛みや体の重さから解放されたい…。普通の服を着たい…(数少ないマタニティウェアを制服のように着る日々も結構ストレスです)。赤子が産まれる、という一般論的な「大きな喜び」の前には、妊婦当事者のこんな些細な愚痴は「それくらい我慢しなきゃー」とかき消されてしまうのですが、でもやっぱり、辛いものは辛い。

 妊婦さんの代表的な悩み事の一つに「妊娠線」があります。
 気にする方などだと、専用のクリームを各種買いそろえたり、朝も夜もマッサージに明け暮れたり、ということを伺います。

 しかし、実は私は、これまで割と鷹揚に構えておりました。

 というのは、これまでやせたり太ったりが激しい30年だったもので、妊娠前からところどころに肉割れ(←この表現もナマナマしくてなんですが…)が存在していたのです。そのため、「まあ、妊娠線って言っても、今回の十月十日の良い記念みたいなもんだし、そんなに神経質にならなくてもいいかな〜」なんて、お風呂上がりにネロリをブレンドした自作オイルでマッサージする程度のものでした。(←でも、これだって妊娠前からほぼ全身を保湿する習慣はあったので、特別追加したケアではなかったんですよね…)。

 が、先日、鏡で自分の姿を写して見ると…段々、自分の視線からは直接見えづらくなってきたおへその下あたりに、線らしきものを発見。
 
「気にしない」と思っていた割に、現実にできている線を目の当たりにすると、意外なほど動揺しました。しかもタテだし目立つ。

 うえーん悲しい、と今頃泣きながら、助産師さんに伺うと…

「それは妊娠線ではなく、正中線では?」

 とのアドバイスでした。
 んで、もし正中線であれば、産後に薄くなるのだとか。

 一気に気分が明るくなる私。(←なんだかもう、言ってることと感情とがぐちゃぐちゃだなあ)。

 でも、この一件で、やっぱり妊娠線ケアは、あとで後悔しないように自分なりの努力を尽くそう、と思わされました。
 

 気分が悪くならない程度に長風呂を頑張っている、と先日書きましたが、相変わらず体重をキープしています。これだけの長期間、キープできているのは、もしかしたら中の人到来以来の最長記録かもしれません。

 それだけではない効果に気づきました。
 長風呂をするようになってから、明らかに、就寝中のこむらがえりが減りました。
 皆無とは言いませんが、だいぶ軽くなり、回数も減ったということです。
 
 うーん、やっぱりこれまでは、温めているつもりでも温まっていなかったのか…。
 ともあれ、気づいてヨカッタです。

 こうなるといよいよお風呂テレビが欲しくなっちゃいます嬉しい
 当初、防水VIERAが良いかなー、なんて思っていましたが、この記事を読むとフル充電での充電池駆動時間が短いのがネックみたい。
 三洋LVT-WD40か、形がファンシーすぎるのが恥ずかしいですが、ラジオも聴ける防水BRAVIAが本命になってきました。

 前回以来、検診が2週間ごとになりました。
 前回の検診時が、鬱状態が一番強かったみたいで、辛くて辛くて仕方なかったけど、今朝は随分と楽になっていました。不思議。

 いつもすいている産院なのですが、今日は特にすいていて、ほんとに誰もいなくて、はて、と思っていると、いつもの先生と助産師さんが他のご用事でおでかけのようでした。いつもの人でない先生と看護師さんに診ていただくっていうだけでものすごく不安に感じたのですが、そのあとで見慣れた助産師さんが一人出てこられ、一気に安心したのでした。
 私、猫なみに人見知りかも…。
 普段の先生でないだけに、おなかを触られて「しゃーっ」って言いそうになりましたしね(唐突だったからびっくりしたっていうのもありますが)。診察室にまでオットが一緒にいてくれていてもこうなのですから、私は里帰り出産ってできそうにないなあ…と思います。

 ちなみに、前回も、その前からも判ってはいたことなのですが、まだ逆子が直っていないそうで、そろそろどきどきしてきました。冷え対策は頑張ってきたんだけど、仕方ないことですね。ただ、前回からは中の人の背骨の位置は逆向きに変わっているので、活発に動いてはいるもよう。この調子で、もう半回転頑張ってもらいたいところです。ちょっと気をつけて安静にしようと思います。
 ただし、私のむくみ・糖・血圧はすべて問題点なし拍手初回検診時からずっと「−」マークが続いています。誰も褒めてくれないので自分で自分の健康管理体制を褒めておくことにします。
 自分で努力できることは努力して、できないことは神様にお任せする。まさに「ニーパーの祈り」ですね。
「神よ、私にお与えください。
 変えることのできないものを受け入れる平静な心を。
 変えることのできるものは変える勇気を。
 そしてそれらを見分ける知恵を。(中村佐知訳) 」


 さて、検診は毎回オットと一緒におでかけするので、その後にそのままお外でランチをすることが定例化しています。
 私もオットも、なかなか外食に関しては冒険が出来ず、情報や人からのお薦めがないと、新しいお店に行くことって滅多にないのですが、今日は少し冒険してみました。前から私が通りすがりでよく見ていた、おしゃれげなダイニングカフェです。

▲いかさしもタラコもたっぷり。

 オットはこのお店の名物の「がごめ飯」、私は日替わりパスタをお願いしてみました。両方とても美味しかったです。分煙もしっかりしていたし、もっと早くに行ってみるべきでした。これから、また機会があれば行きたいお店です嬉しい

 ちなみに、「がごめ昆布」とは何か?というと、これですわ。納豆とか、お吸い物なんかに混ぜて手軽に食べられるのでおすすめです。ちょっと前まではゴミ同然だったものだったんですって。


 オット、今日もおつきあいありがとうラブ

 体重の増減を気をつけて見ていると、明らかにカロリーの出し入れ以上の増え方をするときがあって、それはこのブログにも何度も書いているとおり「むくみ」なんだなあ、と半ば諦めるようになりました。脂肪でさえなければ、産後にはなんとかなるだろう、と楽観することにしたわけです。

 が、病的なむくみでなくとも、放置するとやっぱりイクナイ。私もそれなりに対策を講じるようにもなってきて、一番大きな効果をあげてくれたのは「塩分を控えめにすること」でした。私はもともとさほど塩分過多な食生活ではなかったほうだとは思いますが、それでもやっぱり塩分に気をつけて食品表示などを見ると、意外なものに意外なほど塩分が含まれてるもんだなー、なんて気づいたりしてね。自分と家族の健康のためにも、気づいてよかったことだと思います。食生活は一生ものですもんねー。

 あとは、カリウムの多い食品を心がけて取ることとか、入浴中や入浴後には、心がけてリンパの流れをよくするようにマッサージをしたりだとか。
 先日来、クラランスの「トニック」というオイルを使っておりましたが、思うようにかわいい服を買えない今、この時期だけの心の贅沢と思うことにして、さらに「アンティオー」と「トータルリフトマンスール」にも手を出してみることにしました。香りも良いので、気分がちょっと上がります。

 加えて、先週くらいから、発汗作用のあるアロマオイルや入浴剤を使い、私の携帯が防水ワンセグなので、テレビを見ながら、冷ためのお茶を持ち込んで、気分が悪くならない程度に長風呂を頑張ることにしてみました。

 するとやっぱり、この一ヶ月、体重がキープできている。
 というか、旅行後や江戸滞在後なんかに比べたら、若干減なくらい。
 指輪も明らかにスルリと指に収まるし、心なしかふくらはぎや首筋のあたりもすっきり。
 やっぱり、むくみだったのねー。

 何にしても、体を温めるとてきめんに中の人も活発になるのがわかるので、悪いことではないのでしょう。これからも気をつけましょう。

 さて、そうなると、お風呂テレビが欲しくなりますなー。
 一番魅力的なのは、無印のこちらですが、さすがにちょっとお高い。DVDまで観れなくても良いかも。でもせっかくなら観れた方が良いのかな?


 オットが「このエントリについてどう思う?」と宿題をふっかけてきたので、昼寝しながら考えました。


そんなこんなで少し落ち込んで「なんだか実のあることが何もできないわ」とグチをこぼしてしまいました。
すると、jkondoが、
「時くん(息子の名前)を大きい人間にすること。それが一番の実じゃないか」
と言いました。
そうかあ、そうだよなあ。私、今すごいことをやってるんだ。息子とはてな、両方とも大きなプロジェクトだなあ。何をグチってるんだろう、私。と妙に納得して胸のあたりがスウッとしました。


 オットとしては「ヨメが『読書や仕事をする時間がほしい』と言うてはるねんやから、ダンナが育休取るとかして育児を助けて、ヨメに時間をプレゼントせえよ、ヨメもヨメで、そこで納得してダンナに騙されなさんな」という主張。

 私も、ほぼ同感ではあります。

 っていうか、オットがそういう感覚の持ち主であることを再確認して惚れ直しましたラブラブラブ

 という我が家ののろけ話はさておき…

 オットと違う点で考えたもう一つの視点は、この女性が本当に欲しいのは、実は「読書する時間」や「会社での仕事」ではなく、「今自分が取り組んでいることに対する具体的な評価、あるいはねぎらい」なのではないか、ということ。
 それならば、この女性が感じるように「胸のあたりがスウッとした」という感覚は実によく理解できます。

 そう思うと、「今自分が抱えているモヤモヤ」の実態が何か、ということを見極め、それを的確に他者に伝えるというのは意外に奥深いことかな、と思ったりします。

 私も、(今はだいぶましになってきましたが)ちょっと前まで、自分でもコントロールできないモヤモヤに振り回され、心身ともにヘトヘトになっていました。
 オットや、助産師さん、お医者さんにこのモヤモヤを伝えて、なんとか助けてもらいたい、自分でも状況を改善したい、と思いながら、何がモヤモヤの根本なのかを言葉にできない、自分でもわからない、というときが一番辛かった。

 見かねたオットが「心療内科に行く?ちゃんとカウンセリング受ける?」と心配してくれるのですが、自分でも自分の気持ちが言葉にならないのに、カウンセリングにかかっても無駄だよーなんてまた泣き出したりして。

 でもやっぱり自分でももう限界、という時に、とりあえず何かお薬の処方の相談もできるかもしれない…、とかかりつけの産院を訪ね、お客さんが他にいなかったことを良いことに、助産師さんや先生に2時間近くぐずぐず話を聞いてもらいました(←そしてまた聞き出してくださるんですわ、上手に)。
 自分で話しながらようやく自分の奥深くにあったモヤモヤが見えて、言葉にすることが出来て随分スッキリしたのでした。現段階ですべて解決した、とはとても言えませんが、少なくとも方向性は明らかになったのです。

 自分の話での余談が過ぎました。

 ともあれ、「今自分が求めているものが何か」をパートナーなり、サポーターなりに伝えて、よいコミュニケーションを取ることができるかどうか、っていうのは、その前段階で「自分が求めているものが何かを自分がわかっているかどうか」にかかっているのだなあ、ということを改めて考えた次第です。

 それは中の人のことや育児のことだけに限ったことではありませんが、こと妊娠・育児に関しては「それ自体が喜びに溢れている『べき』もの」のような空気と、自分自身の正直な気持ち(「ほんとはしんどいよー」とか「身軽にふつうの服を着て外出したいよー」とか、それがたとえ一見、どんなくだらないことであるにしても)とのギャップもあるので、自分の正直な気持ちを、おいそれと他者に言いづらい、というところがあるように思うのです。(その他者がどんな思想信条の持ち主かわかりませんもんね。下手にこじれたら宗教論争になりかねません)。

 なので、くだんの女性が、パートナーの一言で「胸がスウッとした」と言うのは、一見、一足飛ばしのような気はしますが、パートナーが上手に女性の言葉の深層をくみ取ったのであれば、それはメデタシメデタシなのではないかと。

 ただ、危険なのは、パートナーが論点のすり替えをして女性をなだめている場合。
 女性が「本当の本当に、読書する時間や仕事する時間」を求めているのならば、「パートナーの誤解を解いて、育休を取ってもらって子どもを託し、自分の時間を確保する」ことをきちんと主張する必要がある、ということです。

 胎児を胎内で育てることと、母乳を与えること以外のことは、母親でなくてもできること(極論、それすら外注する人もいるわけで…)。
「する」「できる」にこしたことはありませんが、「しなければならない」と思いこんで自分を追い詰めることは、私自身は出来る限り避けたいなー、と思います。それは、自分のためにも、小さい人のためにも。
 きっと小さい人も「この人、強迫観念でやってるよなあ」とか「したいことはして、笑顔でいてくれるほうが助かるなあ」なんてことは敏感に察するのではないかと思ったりします。自分勝手な考えでしょうかねー。

 今朝、歯を磨いていて唐突に「産院とお寿司やさんの料金体系って似てるかも」と思いました。

・問い合わせしづらい
・問い合わせしても、オプションや状況によって変動があるので一概にはわからない
・だからきっと、お会計の時にびっくりしたりほっとしたりするんだろうと思う
・おまかせコースにすると高そう
・かといって用心してケチケチすると、サービス提供者側とコミュニケーションがとりづらそう
・とはいえ、おまかせとケチケチの中庸がわかりづらい
・回転寿司やから高級隠れ家寿司屋まで千差万別

 あと、サービス提供側との「出会い」みたいなのも似ているような。
 他人のおすすめが、自分の求めているような人かどうかはわからないし、下手をするとサービス提供者側の心のない些細なことで傷ついたり、逆に、これまでの思いこみをひっくり返されるくらい、感動的なサービスに出会うことだってある。

 ともあれ、お寿司やさんでも、産院でも、クレジットカード支払いができるとマイルがたまってありがたい、というのは共通。

 運動エネルギーの公式というのは、1/2*m*v^2(1/2かける質量かける速度の二乗)です。

 なので、理屈で言うと、同じ速度で運動するなら、体重が増えれば増えるほど運動エネルギーも増え、従って消費カロリーも大きくなるはずなのです。

 って、やっぱり理屈でしかないんだなあ、ということを体感する日々です。
 というのは、日に日に体が重くなってくると、動くのが億劫になってくるからです。
 そしてまた、そういう状態で無理に動くと、足腰も負担に感じるのです。もう消費カロリーがどうこうって言っている場合じゃない、くらいに思ってしまう自分が嫌。
 
 生理的な体重増加だからある程度は仕方ない、むしろ食べ物を受け付けなくてげっそりしたり、中の人に栄養がいかないよりは、ご飯を美味しく頂ける体調はありがたいこと、とは思うようにしていますが、体の重さ(単純に、体重っていうだけではなくて、なんていうか…足腰への負担も含めた「体の重さ」。)についてはこれまで自分なりにコントロールができてきたことでもありますから、葛藤があります。

 あー、はやく身軽になりたいなぁ。
 身一つになったらなったで、今度は待ったなしの様々なことが大変、とはよく聞きますけれど、でも、オットや周りの人のサポートも頼みながらやっていけるなら、今の私の「重みを一身に負う」状態よりは孤独じゃない…気がする。
 それも、なってみないとわからないのかなぁ。

「これ知るなり」。

 これまで私は、経験することが全てではないと思っていました。
 経験できないこと、経験を超えるようなことについて考えるために、勉強や学習という行動があるのだと思い、さまざまな知識を吸収するべく自分なりに努力していました。

 しっかし、
 中の人のことについては、やはり体験してみて初めてわかったことが多くて、これまでの私の知識なんて、無駄とは言えないにせよ、氷山の一角みたいなことしか知らなかったんだな、ということがわかりました。
 
 かといって、私のこの一度きりの経験が、世の中の妊娠・出産・あるいは周産期医療について・不妊・非妊・女性の生き方などなどのもろもろについて、何をかや語れる材料として説得力があるかというと、必ずしもそうでもなくて、やはりこれはあくまで私の個人的な経験でしかないものなのだ、ということも、今後は自覚しておかなくてはならないと思います。

 で、こんなようなことから、私が何を考えたか、というとですね、

 自分は、やっぱり無知だ、ということがわかりました。はい。
 一生勉強、一生考察。

 


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